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社会人インタビュー

気象予報士として生きる。民間から省庁へ、大いなる野望と挑戦。

Writer|ビックイヤー編集部 Writer|ビックイヤー編集部
  • 読了目安時間:7分
  • 更新日:2018.4.11

転機は2011年の大震災。本気で自分の仕事に向き合いはじめた。

-絵に描いたように『順風満帆』というわけですね。

いえ、それがそういうわけにもいかず。実際にA社の商材っていうのは素晴らしいものだと思いますが、どうしても競合他社と比較して値段が高くなってしまったり、その部署の人数が今でこそ増えましたが、当時は僕を含めて5人程度で外販や天気予報など様々な業務をまわしていたりしていて人でが足りず、その商材自体が社内で下火になっていったんです。

だんだん営業でも売れにくくなっていって..その時はほんとに「腐りました」よ。何やってんの僕?って。ただ会社に行って帰るだけでしたね。

-その時はまだお会いしてなかったですね。

ええ、その時は本当に趣味のアカペラ以外はお酒も飲まないし出歩いてなかったですしね。そんな日々を続けていたときですね、後にも先にもそれが一度だけなんですけど、部長にとんでもなく叱られまして。笑

もちろん反省はしましたが、やっぱり自分の仕事観が大きく変わったのは「東日本大震災」です。

茨城県や福島県の自治体の顧客がおりましたので、そこに行かせて頂いて出来る限りの支援をさせてもらいました。そこで、自分がしている災害に関する業務というのがいざという時に本当に必要なものなのだと気付かされて。

「よし、頑張ろう」と自分自身を持ち直したときでした。

ちょうどそのタイミングで、僕の部署が扱っている安否確認システムをA社グループ全体で採用してくれたんです。

-グループ全体になるとかなりの規模になりますね。

本社だけで3,000人程度、子会社を入れるとそこから数倍に膨れ上がりますね。結局期間としてはこの導入に2年ほどかかりました。

もちろん、この業務だけやっていたわけじゃなくて、さっき言った業務も引き続き行いつつになります。

僕にとってこの仕事はとても勉強になり、成長にもなりました。とてつもなく大きな組織のセキュリティの構築を行うということは、緻密な仕事であり、同時に交渉力や調整力、なにより対人スキルをフルに要求されることですから。

-どういう部分が具体的に大変だなぁと感じられました?

まずやっぱり段取りですね。あれだけ大きな組織に新しいシステムを導入するので、何をするにも時間がかかります。それにグループが大きすぎて「どんなグループ企業があるのか」、「何をしているのか」、「どのように組織が成り立っているのか」という点も把握して、グループをどこで区切るかなど、事情を鑑みないといけません。

あとA社に導入するにあたってサービスをとんでもなくカスタマイズしたので、手順書やマニュアルを、想定されるQAやトラブルを想定して作成しました。これが意外に骨の折れる仕事です。

そういった仕事と本社総務部などとの調整を繰り返し、最後は導入にあたってグループ内の企業に説明をするために地方行脚をしましたね。島根とか行ったり…。

-それと同時に気象予報関連のお仕事もされてたんですよね。

そうです。当時、ガラケーからスマホに一気に変わり始めた時期だったのは覚えていらっしゃると思います。そこで一気にガラケー・PCからスマートフォンに対応したものやアプリを作っていこうという動きに転じたんですね。

例えばお天気サイトとか、花粉情報、花火お祭り・イルミネーションなどのイベント情報リリース、アップルユーザーの方にも重宝されていますアプリなどなど。そういったものの、ページ設計からデータを集める作業など途方もない量の業務とアイデア出しをやらせてもらっていましたね。

-そう言えばあの頃2012年くらいって転換期でしたね。

そうそう。大企業がこぞって広告もデジタルに置き換えようとしたりして、でも「どうやるか分からない」みたいな状況でした。リスティング出したり、いろいろやりましたね。

ソフトウェアに関してもA社はSEやプログラマーがたくさんいましたから、インハウスで色んなものが作れる環境ではありましたからアプリもどんどん出しましたね。気象予報士もやりながら、アプリ作ったり、広告考えたり、プレスリリース作ったり。毎年業務増えましたよ。


>> 次頁「民間での経験を省庁に活かす。」

 

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