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トップスピードで走り続ける京大生、日野湧也。その思考や信念に迫る。

Writer|細辻 あおい Writer|細辻 あおい
  • 読了目安時間:7分
  • 更新日:2019.1.29

「異文化理解」とは「異なる文化であることを理解すること」

-話は変わりますが、先ほど「日本人の多くは」とおっしゃっていたように日野さんはアメリカでずっと暮らしていらっしゃったんですよね。その生活と日本と比べてみて特に違うな、と思う所はありますか?

もちろん色々ありますが、特に「異文化理解」に対する考え方が結構違いますね。

日本は「異文化を理解すること」が異文化理解だと思っているんですね。でもそうではなく、異文化が「異なる文化であることを理解すること」が異文化理解だと僕は思います。

その人自身やその文化を一つ一つ理解する必要はなくて、違う文化は違うものを重視しているということを理解していれば変に争うこともないですし。

「あ、違うんだ。」でいいんですよ。それが別に「嫌い・苦手」でもいいですし、関わらないという選択でもいい。ただ「違う」ということだけわかっていれば。

−確かに人の理解力とか受容力って限界がありますよね、その人にも自身の文化や価値観がありますし。

そうです。だからそこで無理して理解しようとしたり、関わろうとしたりすると逆に摩擦が起こってしまう。「違う」から摩擦が起こるのは当たり前なのに、それを無くそうとすることで不要の摩擦が生まれてしまうんですね。

食べ物の好き嫌いと同じで人間そもそも偏見だけで生きてるんです。でも、例えば自分が人参嫌いだからといって、他の人にも人参を嫌いになるよう強要したり、自分が食べたことのない人参まで嫌いって言ってしまうと、そうなると「差別」になるんですね。

でもだからと言って「嫌い」という感情を否定するのは違うと思うんです。それは人でも同じで、苦手なら必要以上に関わらないようにする、それで終わりです。それが日本の、少し立ち遅れていると思うところです。

−言われてみれば、食べ物の好き嫌いはみんなありますよね。でも日本の多くの人は小学校などで好き嫌いを無くすことを指導されますし、そういう背景もあるのかもしれないですね。「違う」「嫌い」ということはすなわち「攻撃」のように受け取られてしまう。

日本に特有の「みんなで仲良くしよう」というのはいい方向性ではあると思うし、差別よりはマシだと思うんですけど、ただそれは本質ではないと思いますね。他の人が自分の嫌いなものを好きであろうと、それはただ価値観が違うということだけだから、特にそれを理解しようともしないし批判することもないです。

ただ、攻撃するのではなく区分けくらいしてもいいと思うんですよ。人間ってもともとみんな多様で他の人が思ってることはわかりませんから。

多様性を目指すっていうのは、「違う」ってことを理解してほっとくだけでいいと僕は思います。「型破り」を修正するのは時には必要なことかもしれませんし、それが指導者の役割な部分もありますが、日本はその傾向が強すぎるのではないかな、と少し思います。

−とても的を射ているな、と思います。私もついそのように考えてしまうことがあるので、これからのグローバル社会においてその「異文化理解」の考え方を忘れないようにしたいですね。本日は本当に様々なお話をお聞かせいただいてありがとうございました。これからの活躍も期待しております!

 

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