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社会人インタビュー

京大卒 -だからこそお笑い芸人になった。”ボケ”から見える意外な真理。

Writer|塩田 かりん
  • 読了目安時間:8分
  • 更新日:2019.6.28

“京大”と“笑い”が繋がるとき。

-小保内さんは漫才とコント、どちらをやられているんですか?

半々くらいで両方やりますよ。みんなが見たことなくて、僕じゃないと思いつかないようなネタを一本でも多く作りたいと思っています。つまり実験的なものが好きで、漫才だと片方が同じセリフを60回連呼するだけのネタとか、前半1〜2分はボケに対してツッコミが何も言わないネタとかあります。

-シュール(この場合は非現実としての表現)に近いんですか?

うーん、どうなんでしょう。シュールなことはやっていないと思いますよ。むしろどちらかというと、いわゆる昔ながらの『お笑い』の方がよっぽどシュールだと思うんですよね。

たとえば、店員さんが非常識なことをしてきたとして、お笑いなら「なんでやねん!」ってツッコミが入りますよね。でもこれってめちゃくちゃシュールだと思うんですよ。だって、実際にそういう状況だったとして、お客さんが突然大声でツッコミをするわけないじゃないですか。体が固まってしまったり、怯えたり、変な店だから帰ろう、って思うはずでしょう。

僕はその辺のところをあんまり無理したくなくて、ごくごく現実的なことをやりたいなと思っています。ツッコミがずっと正しいとか、ボケがすっと間違っているっていうのも、凄く変だなと思うんです。

ツッコミが間違えたっていいし、ボケが正しくてもいい。1つのネタを通して、どこかで脳が揺れるような瞬間、物の見方を揺さぶられるような部分があればなと。

-「ものの見方は絶対ではない」っていう考えが根底にあるんでしょうか?

そうです。根幹にあるのはそれです。よく見えるものの背後に悪いものもあるだろうし、悪く見えるものの背後にいいものもあるだろうし。当たり前のことなんですけどね。

こういう考え方自体は、大学での専門とも関係しています。僕はずっと社会学を専攻していて、現象学的社会学、多元的現実論などと言われる分野に関心があったんです。

これは、現実にはいろんな見え方があるよね、現実の仕上がり方は恣意的で絶対的なものではないよね、だけど僕らは現実に影響されるよね、僕らは作っているし作られているよね、というような議論で。これって、僕のお笑いに対する考え方と全く同じなんですよね。

-京大での学びが役に立っているということですね。

役に立つどころか、大学の頃と全く同じことをしている感じですね。「高学歴芸人」は今うじゃうじゃいますけど、大学での学業とお笑いを関連付けている度合いでは誰にも負けないんじゃないかなと思います。

今やっているようなお笑いは京大にきていなかったら作れなかっただろうし。大学で身につけた視座が内面化され、内実を伴った感じになっているはずです。


>> 次頁「“人を傷つけないお笑い”であるべき?」

 

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