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「生きづらさ」を感じるすべての人へ。自らの弱みを外部化する「当事者研究」の大切さ。

Writer|中村 達樹
  • 読了目安時間:9分
  • 更新日:2019.12.5

誰もが「生きづらさ」という病を抱えた病人である

-では、その精神障害者を対象とする当事者研究を、どうして「生きづらさ」に応用しようと思ったのですか。

まず、先行事例の存在が大きいですね。関西でも「ぼくらの非モテ研究会」や「生きづらさからの当事者研究会」など、すでに日常の課題に当事者研究を取り入れた勉強会は行われています。「退会者の会」はそれに追随している部分もありますね。

また、精神障害と同じように、生きづらさも個人によって全く異なるものがあります。高収入や高学歴の人でも、その人固有の生きづらさを抱えているということはよくありますし、「高収入だから」「高学歴だから」「精神疾患ではないから」という理由で、それが消えることもありません。当事者研究なら、こういった個別の生きづらさに対応できる。これも理由の一つです。

さらに、当事者研究は、共同体の中で何不自由なく生きているような、「普通」の人の生きづらさにこそ効果を発揮します。

-それはどういった形で、でしょうか。

まず前提として、多くの生きづらさを抱えている人、特にコミュニケーションの得意でない人は、「コミュニケーションの上手い人なら、たとえ悩みができても、きっとすぐに他の人に打ち明けて相談できるから楽だろう」と考えてしまいがちです。

ところがそれは大きな間違いです。人には多かれ少なかれ場の空気を読む傾向があるので、そのための場が用意されない限り、誰にとっても悩みを打ち明けて相談するのは簡単ではない。だからいわゆる”普通”に近い人にとっても当事者研究という場が必要なんです。

-確かにそういう意味では、普通の人にも応用できそうですね。

そもそも「普通」など存在しない、とすら言えるかもしれません。同様に、「健康」な状態の人も誰一人として存在しない。

当事者研究発祥の地の「べてるの家」には、「べてるに来れば病気が出る」というスローガンがあります。健康だと思われていた、あるいは自分でもそう思っていた人でも、当事者研究の場に行けば、自分に固有の「生きづらさ」という病を発見できる。つまり、誰もが「生きづらさ」という病を潜在的に抱えた、ある種の病人なのだと思います。

この「誰もがある意味では病人」という考え方が、当事者研究の強みだと思います。医者から健康と言われるような状態でも、何らかの病的な状態があるから人は悩むのです。だから、自分の病気について考える必要がある。

-なるほど。当然ながら、サークルを退会する人にもそれは応用できるわけですね。

そうですね。サークルは集団である以上、ある程度個性を抑えて画一化された人格で振舞うことが要求されるので、よりそういった生きづらさに蝕まれやすい場だと思います。当然そういった場に応じた振る舞いはできた方が、社会では成功すると思いますけどね。

かつての自分も、そういった社会への適応の訓練だと思ってサークルに入った部分がありました。中高生時代の自分は筋金入りのアニメオタクで、オタクなりに社会での生きづらさを感じていました。そこで大学入学を機にオタクを卒業して、なんとか社会に適合しようと考え、運動系のサークルに入りました。

しかし結果はダメでした。サークルの誰とも話が合わず、練習後のアフターの食事会でもただ相槌を打つばかり。メンバーは皆優しくて、誰も自分を傷つけるようなことはしないのに、相手の人間性が掴めない当たり障りのない会話ばかりが続いて、ただただ居づらい。その感覚の積み重ねに堪えかねて、結局半年でサークルを退会してしまいました。

今思えば、「サークルで活動することは皆できることだから、自分もできなければいけない」という考え方で動いていたのがマズかったのでしょうね。「できること」・「できないこと」も含めて、個人が抱える課題は個々に異なるわけですし。

-逆に言えば、その退会の経験が今の当事者研究へのコミットに繋がっているわけですね。

そうだと思います。個別事例のまま自己を分析する当事者研究に興味を持ったのは、自分を一つの型にハメようとして失敗した退会の苦い経験があったからでしょうね。

-やはり当事者研究の最大の魅力は「個別事例の検討」にあるんですね。


>> 次頁「当事者研究と「退会者の会」の役割」

 

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