社会人インタビュー
京大・山村亜希教授に聞く、「地の理」を知り、教養を究める面白さ。
Writer|中村 達樹 |
- 読了目安時間:12分
- 更新日:2019.10.11
「選択と集中」の時代の中で、教養を学ぶ意義
-1枚の地形図から、ずいぶん話が広がりましたね。
地理学はこういうものだと思っています。専門性も重要ですが、幅広い知識を空間の中に位置付けて物事を考える、いわば教養っぽい学問です。地域の歴史をふまえて地理空間を読み解こうとする、私の専門の歴史地理学は、教養的要素が強いのかもしれません。
私の場合、そこに至るモチベーションは純粋な知的好奇心ですね。すぐに社会の役に立とうという観点がそもそも薄いですし、実際これがどのように役に立つのかもわかりませんが、そういった基礎研究も誰かがやらないとなくなってしまう。歴史地理学は研究者人口が少なくて、今どきではない分野ではありますが、知的好奇心さえあれば学生にも手が届く楽しい分野です。大学はそういう好奇心が満たされる場であって欲しいですね。
-「教養」というワードが出ましたが、教養教育に携わる先生は教養の重要性についてどうお考えですか。
教養という土台の上に、専門の深さを活かすことが重要だ、という主張には共感できますね。専門分野にのめり込みすぎて、自分を確立する前から専門しか見えなくなると、他のものに興味が持てなくなったり、他の分野をリスペクトできなくなってしまう。そのことの弊害は感じます。
その点、京大は恵まれていますね。学部学科にもよりますが、広い選択肢の中から、比較的自由に授業を受けることができます。京大は多くの研究者を抱える総合大学だけに、ありとあらゆる分野の専門家がいて、多種多様な授業を展開しています。教養だけでもバリエーション豊かですし、他学部のシラバスや科目を見てみると、さらに面白いですよ。
私がかつて勤めていた地方の小規模な大学に比べて、京大では内部の先生方が教養教育をしている割合が高いです。大学教員は、自分の所属する大学の学生には、責任と熱意を持つものだと思います。京大の教員には京大出身者も多く、そこに母校愛のようなものも加わる場合もあります。学生も賢いので、そういった情熱を受け取ってくれます。
とはいえ、教養は時につまらなくて、難しいという声を聴くのも事実ですが、それを差し引いても京大の教養教育は間違いなく貴重なものだと思います。社会人になってから、大学の教養に関心を持つようになった人をよく見かけます。もっと専門以外も勉強しておけば良かったと。本やネットからは得ることのできない、大学の授業ならではの臨場感・ライブ感・わくわく感を学生につかんでもらって、教養の地理って面白いと30代・40代になっても記憶に残るよう、授業を頑張っています。
-最近の科学界では「選択と集中」という語に見られるような専門重視の風潮が強いように感じます。
応用研究や専門的研究は比較的投資が効果に直結しやすいので、そこに研究費が集中投入される風潮はある意味では仕方ないとは思います。人文科学系の研究で、地道な基礎研究をしている限り、理系ほどの莫大な費用が必要になることはほとんどないのも事実です。私の研究分野は実地調査などで比較的お金を使いますが、それでもかかる費用は個人だとせいぜい年に百万程度だと思います。
しかも、研究は1年・2年で成果が出るとは限りません。研究者も人間なので、体調や家庭の事情、場合によっては出産や育児、介護などで研究が捗らないこともある。そのような予測できない研究者個人の未来の結果に期待して、莫大な費用の投資をするのもどうかと思います。
むしろ適正な金額を研究者に薄く広く支援の手を行き届かせるべきだと思います。それに加えて、「ここ2、3年は不調だけど来年、花開くかもしれない」という期待の下で、支援を継続する心の広さ、寛容さが欲しいですね。
多額の支援をあげるから2年後にこういう成果を出して欲しいとか、本を何冊出して欲しいと言われても難しいですよ。単著の執筆は、文章を書くのが苦手で、ライターズブロックも甚だしい私にとっては身を削る重労働です。それこそ、「鶴の恩返し」の鶴のように、痛みに耐えて自分の羽をむしって、それを紡いで機織りし、きれいな反物を作るような作業です(笑)。
-そのような向かい風の中、地理学界ではアウトリーチの重要性が説かれていると聞きます。
実際、歴史地理学の意義を一般に広く知らしめるアウトリーチは重要だと思います。その点で、NHKさんは歴史地理学という分野をご存知なかったと思いますが、奇しくもそれと近い発想で作られている『ブラタモリ』は非常に有効ですね。あの番組のおかげで、多くの人々が分野の名前は知らなくても、歴史地理的な発想に目を向けて下さった。
私の専門分野はたまたまそれに近いので、この好機に乗らなければならないとは考えているのですが、そこまで私は器用ではないですね(笑)。基礎研究で手一杯です。民間の方に、上手く私を利用して頂ければ……と思います。
-とはいえ、先生もその『ブラタモリ』に二度出演されています。
アレは骨の折れる仕事でしたね。打ち合わせは担当ディレクターの方と和気藹々と行っていたのですが、その段階から私の企画案に対して、伝わり方や画の映え方に関するシビアで徹底的なリメイクが施されました。
そうして入念に企画を練っても、いざロケとなるとタモリさんが予想外のものに興味を示されたり、予定外の場所でいい画が撮れたりして……。この行程にお付き合いするとなると、授業のない土日を毎週連続でつぶして現地に飛んで、それが2ヶ月くらい続きます。大変でしたね。
-逆に言えば、その労苦を差し引いてもアウトリーチは重要であると。
一般的に、歴史の重要性は、感覚的に無条件に優先する風潮がありませんか?歴史だから有無を言わさず、大事なんだ、理解すべき、保存すべきなんだという感覚とは、私は少し距離を置いています。
もっと理性的に歴史を論じたいと。それがプロの研究者の仕事の一つだと思います。一般向けの講演で、地域の城郭や城下町、古い町並みについて話してほしいと言われることが多いですが、そのときも、頭ごなしに古いから大事です、というのではなく、こういう仕組みになっている点が面白いとか、他の同時代の城郭にはない特性はこれであるとか、他の町並みと比較したとき、この点がこういう観点から特異だとか、周辺の地域環境の中でどのように調和している、と言うように評価を持っていきます。
城郭や城下町、景観のような歴史の作り上げた文化財を、これからの社会において、どのように地域環境の中で保全し、地域と共存させながら活用するかを考える時も同様です。これも歴史地理学ならではの観点が活かされているという点で、アウトリーチと言えるのではないかなと。
>> 次頁「「研究者・山村亜希」の原動力と過去」
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