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社会人インタビュー

京大・山村亜希教授に聞く、「地の理」を知り、教養を究める面白さ。

Writer|中村 達樹
  • 読了目安時間:12分
  • 更新日:2019.10.11

「研究者・山村亜希」の原動力と過去

-ではここで話題を大きく変えて、現在の研究職に至るまでの先生の遍歴についてお聞きしたいと思います。研究職を目指すようになったきっかけはどのようなものでしたか。

初めは研究者になろうとは全く思っていなかったですね。公務員になって地元の広島県庁で働こうかな、程度に考えていました。自分が民間企業に耐え得る人材でないことは察しがついていましたし(笑) ただ、公務員試験の勉強にも今一つ気は乗らなかったですね。

院進を考え出したのは4回生になってからです。必要単位もほぼ無くなって卒論研究に着手したら、それが面白くなってきて。勉強に気が乗らない日もありましたが、自分のペースで研究するのが楽しく感じました。それでもまだその時は「修士課程くらいは行こうか」程度の感覚で、本当に転機になったのは卒論提出1週間前あたりからですね。

-一週間前ですか?

はい、本当に焦って書いている間でした。元々ライターズブロックが強いと言いますか、研究はコツコツやるタイプですが、いざ論文となると書くまでにあれこれ悩んで文章にできない。完璧主義の人にありがちなタイプです。結局焦って書き出したのは2週間前でしたね。

それから1週間後あたりでしょうか。ドーパミンが噴き出して、まるで階段を駆け上がっていくような、寝食も忘れて書けるようになったんです。そうして書いた部分は今読んでもいいことを書いているな、と思えますね。「私ってメチャクチャ頭良くない?」みたいな感じで(笑)

そこで初めて意識しました。研究の面白さというのは、こんな風にコツコツと蓄積したものが突発的に噴き上がってくるような得難い興奮・嬉しさ・楽しさなのではないか。それは人生の他のフェーズで果たして味わえるのか、と。

-そうして結局大学院に進んだ、と。

しかし修士論文は不発でしたね。興奮も何もなくただただ苦行で。それでも偶然学振の特別研究員に選ばれてしまったので、もうダメだったら1年で辞める覚悟で博士後期課程に進みました。その矢先、学術雑誌に投稿した修論が審査落ちしてしまったんです。

-絶望ですね……。

それはもう悔しかったですね。学振の選考に落ちた同期の院生は皆、審査に通っていたので、学振に受かった自分が審査落ちなんて、もう誰にも顔向けできないですから。そこで今まで持っていた自分への自信は全て失いました。ここまで来られたのは幸運なだけで、20代半ばまで来てしまえば必然的にぼろが出るものなのだと痛感しましたね。

博士1年目はその悔しさをバネに、一から実地調査・データ採取をし直して、全く新しい修論を一字から書き直しました。その時、卒論を書いた時と同じ興奮が蘇ってきたんです。そこで初めて、修論を書いていた時は本気になったつもりでもどこか手を抜いていたこと、そして本気で勉強すればあのときの知的興奮はちゃんと得られるんだということに気付きました。それを続けて得たいがために研究者としての人生を生きる覚悟ができ、今に至っています。

-やはり今もその経験は活きていますか。

そうですね。特に修論での失敗は強烈に活きています。講義でも学会発表でも講演でも、「気を抜いたら私は絶対にヘマをする。最善を尽くして臨まねばダメだ」という思いは常に心に留めています。

学問から得られる知的好奇心や興奮が強烈だったがゆえに、そのためだけに研究を続けているような面もありますね。「研究職」とよく言いますが、私は研究をあまり仕事だと思っていませんし、大した崇高な目的をもって臨んでいるわけでもありません。ただ自分と向き合ったとき、これ以上自分の人生を輝かせてくれるものはないし、それに出会えた自分は幸福だと思います。

-読者の方々の中には(私自身もそうなのですが)、その出会いにまだ辿り着けていない方も多いと思います。一方で、早くから自分の行く末を絞っている方々も多くいます。そういった読者の皆さんに対して、伝えられる言葉があればお願いします。

私自身の感想を言えば、人生20代半ばまでは迷いが生じるものだと思います。もちろん10代の頃から進路を絞って一心不乱に頑張っている人もいて、そういう人のことを羨ましく思ったりもしますが、少なくとも私は恋愛も就職もしたくて迷いましたね、凡人なので(笑)。今も民間企業に就職したり、官僚になった同級生と話をしていると、いいなと思うことも多々あります。そんな国家を動かす仕事してみたかった的な(笑)。

しかしそんな自分でも、研究者になる覚悟を決めて、博士1回を過ぎた頃には、そういった選択肢と迷いが消えましたね。「研究中のあの好奇心と興奮のためなら、最悪、結婚できなくてもいい!」とすら思えるようになりました(笑)。幸い、できて良かったですが。そうして迷いが消えてからはもの凄く楽になりましたね。自分を慕う後輩もできて、ちゃんと研究者としての背中を見せてあげられて、先輩らしい先輩になれたのもこの頃だったと思います。

こういう風に最終的に迷いが消えれば、その進路選択に後悔することはないと思います。それに加えて迷うということは必然的により多くの選択肢を考慮に入れられるということでもあるので、将来に迷っている方々も卑屈になることはないと思います。

それに今の時代、転職・起業もありで、途中からの進路変更もありだと常々、思います。その時に自分が出した結論を、とりあえず進んでみよう、合わなければ軌道修正をかけよう、それが可能なように、自分の知力・経験力を高めておこうくらいの軽い気持ちでもいいのではないでしょうか。あとは突き進む勇気と覚悟かな。

-ありがとうございます。最後になりますが、先生自身の展望についてお聞きしてもよろしいでしょうか。

そうですね。かつて指導教官の先生が「人間の肉体は20歳くらいで衰えが始まる。でも研究者は定年で辞めても、頭が働く限り、死ぬまで成長する」とおっしゃっていたのですが、その通りかもしれません。現に40代になった今の方が、瞬間的な体力の面でも、限界まで自分の力を引き出すまでの時間の面でも、若い頃より強くなった気がします。今では本当に死ぬまで私は成長し続けられるのかもしれない、と不遜ながら思っています。

後輩や指導学生も増えてきて、若い世代に次を託すという選択肢も現れる頃ですが、私はまだ譲りたくないですね。同世代で最近引退したイチロー選手も同じようなことを言われていましたが、やはり安易な世代交代は自分への甘えでもあると思います。学生は自分に決して追い付けない、追いついたと思った頃には自分は遥か上にいる、という自負を持って、今後も研究を続けていきたいと思います。

-本日は貴重なお話をお聞かせ下さり、ありがとうございました。今後も教授として、引き続き我々に楽しく有意義な時間を届けて下されば幸いです。繰り返しになりますが、本当にありがとうございました!

 

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