社会人インタビュー
「規範的な言説」以外の可能性を考え続けたい。社会学者として “貧困”の現場に携わる研究者の思い。
Writer|古渡 彩乃 |
- 読了目安時間:11分
- 更新日:2020.5.6
丸山里美、京都大学大学院文学研究科准教授。貧困・ジェンダー論を専門とする社会学者。大学院生時代、女性ホームレスに関するフィールドワーク調査を行う。女性と貧困の問題に深く関わる一研究者としての葛藤や信念、自身の考える研究の意義に迫る。
もともとの興味は、貧困でもジェンダーでもなく、「ボランティア」。
-本日はお忙しい中、貴重なお時間を頂きありがとうございます。先生は長らく女性ホームレスの方について研究をなさっていました。興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか。
学部時代に3年間、釜ヶ崎(あいりん地区)に炊き出しのボランティアに通ったことがきっかけです。釜ヶ崎というのは、大阪・西成区の一角にある簡易宿所や寄せ場が集中している地域の通称で、メディア等ではあいりん地区とも呼ばれます。
周辺地域に比べて物価がかなり安く、日雇い労働者や路上生活者が多いことで知られていますね。
でも、もともと興味があったのは、貧困問題というよりも「ボランティア」でした。というのも、私は当時ボランティアというのがすごく変なものに思えていて。
学部生時代、私はそこまで勉強に興味がない普通の学生で、バックパックを持って海外に1人で行ったりしていました。それでインドに一人旅をしに行ったことがあったんですが、そのときにマザー・テレサの「死を待つ人の家」というところでボランティアをする機会があって。
その頃はちょうど阪神大震災の少しあとくらいで、日本で「ボランティア」というものが注目され始めていたときでした。
そんな動きもあって、私はボランティアをする人に「いいことをしている人たち」というイメージを持っていたんですが、インドで実際にボランティアをしている人と話してみると、「ボランティア仲間で好きな子ができたから参加しているんだ」と公言する人がいたりして……。
いわば私利私欲のために参加している人たちがいることが新鮮で面白く感じて、ボランティアに参加している人たちに動機を聞いてみたくなったんです。
-確かに、あまりピュアな動機ではないですね。
それから、また別の機会で、たまたま学内に貼ってあった釜ヶ崎ツアーのビラを見かけて参加したことがあったんですけど、行ったら、その辺で寝ていたりお酒を飲んでいたりするおじさんがたくさんいて、それだけじゃなくて野犬だとか鶏とかの動物もたくさんいて……とにかくカオスだったんです(笑)
その雰囲気がなんだか東南アジアの国みたいで、とても釜ヶ崎が気に入ったんですね。
それで、学部3回生になって社会学専修に入って、研究テーマを決めようとなったときに、できれば本を読むよりも自分で体を動かすフィールドワークをやってみたいと思って。
そこで、釜ヶ崎で炊き出しのボランティアに通いながら、そこにボランティアしに来ている人たちにお話を聞くという調査をすることになりました。
-もともとはボランティアそのものに興味があったんですね。そこから、どのようにジェンダーや貧困に興味が移っていったのでしょうか。
私は大学院の試験に一発で受からなかったので、結局3年間、釜ヶ崎に通ったのですが、調査の終わり頃に少しトラブルがあって。あるボランティアのおじさんからラブレターをもらって、お断りしたんですけど、上手く伝わらなかったのかストーカーみたいになってしまったんですね。とうとう「殺してやる!」とまで言われるようになってしまいました。
3年間いろんな方にお世話になりながら通った、とても大切に思っていたフィールドでしたし、調査も終わりかけだからこのままいい関係で終わりたいと思っていたのに、そんなことがあったので怖くて行けなくなってしまって……。
結局、最低限やるべきことだけはなんとか済ませて、それ以来通うことはなくなったんですが、そのときに初めて自分が「女性である」ということを深く考えさせられました。
それまで私は自分が女性であるということをあまり気にしたことがなくて。だからこそ釜ヶ崎というおじさんの多い町に1人で通えていたんだと思います。でもそこで初めてジェンダーについて意識して、それと同時に、炊き出しの列にたまに女性のホームレスの方たちが並んでいたことを思い出したんです。
何かトラブルに巻き込まれたとき、私はボランティアだから逃げようと思ったらいつでも逃げられる。だけど、彼女たちは帰る家もないし、いつでも逃げられるわけではない。そういう状況の中でどうやって生活しているのかを切実に知りたいというか、人生の先輩として彼女たちの話を聴いてみたいと思うようになって。
それで、院に進んでからは女性ホームレスの方の調査をするようになりました。だから、貧困問題というテーマに行き着いたのは本当にたまたまです。
-女性の貧困について関わるようになったのは、偶然の積み重ねだったんですね。今はどういった研究をされているんでしょうか。
最近は、「世帯のなかに隠れた貧困」というのをテーマに研究しています。これは、今の貧困の測定の仕方では女性の貧困の現状を十分に把握できないのでは、という問題意識からきているんですが、そう思うようになったきっかけはいくつかあります。
院生時代、女性ホームレスの研究をしていて一番よく聞かれた質問が、「どうして男性に比べて女性のホームレスは少ないのか」というものでした。
その答えはまだいろいろ考えていますが、特に日本の場合、おそらく一番大きい理由には、「女性1人で自立して生きていくのが難しい社会なので、女性は貧困を恐れて家を出ないから」というものがあると思っていて。
そう考えると、女性の貧困とか困っている状況というのは、実は見えないだけで家の中に隠れているんじゃないか、と考えるようになりました。
それから、以前東京の生活困窮者を支援するNPO「もやい」という団体と協力して、相談者のケース分析をする調査をしたことがあります。
当時もやいが保管していた3000件ほどのケースを分析したんですが、女性の方が貧困に違いないという当初の予想とは裏腹に、男性の方が生活に困っている人が多くて、女性は意外と家もあるしお金もある場合が多かった。
ただ、よくよく見てみると単純にそうとも言い切れないことが分かってきました。
-どういうことでしょう?
例えば、夫からDVを受けていて家を出たいという女性の場合、相談時には家もあるし、夫が稼いでいればお金もある。でも、彼女は家を出た瞬間に家もお金もなくなってしまう。
つまり、通常貧困というのは世帯ごとに見るので、こういった女性は貧困状態にあるとはカウントされないんですね。そう考えると、貧困の定義や測り方はかなりジェンダーブラインドで、考え直す必要があるんじゃないかと考えるようになって。
そういうことで、今は「世帯の中に隠れた貧困」ということをテーマに、家の中でどうお金が配分されていくのか、といったことについて研究しています。そういったことを考えないと、女性の貧困というものの実態は見えてこないだろうなと思っています。
>> 次頁「「客観的ではない」質的調査という方法だから分かること。」
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