「はたらく」のミスマッチをゼロに。

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メディア立ち上げで見えた、本当に自身が望む未来とは。

Writer|瀬戸 花音
  • 読了目安時間:9分
  • 更新日:2018.5.29

山田将生、同志社大学経済学部4年。就職活動の失敗後に立ち上げたメディアが朝日新聞に取り上げられる。様々な活動の中で、変化した“就職活動前に抱いていた想い”の変化、そして彼の考えるメディアとは。

「じゃあ、自分でメディアを作ろう」、と思った。

-本日はお忙しい中、お時間を割いて頂き有難うございます。早速ですが、まず、山田さんが運営されている「サンタのいる学校」の活動について教えてください。

もともとメディアに興味があって、メディアに就職したかったのですが、うまくいかなかったので、じゃあ「自分でメディアを作ろう」と思ったんです。

それから、一人で東北に行こうと決めました。理由としては、「ハーバードの学生がなぜ東北で学ぶか」という本を大学三年生の夏に読んで、東日本大震災の後に起業した人が多いということを知り、その人達に会ってみたいと思ったんです。

それで、4回生の9月頃に起業家の方にアポが取れたので、その人達に会おうと決めてから行きました。そこが活動の始まりですね。

-メディア系に就職したかったけどうまくいかなかったことがあり、じゃあもう自分で作ってしまおうと思って、そこから東北に行ってという感じですか。

そうですね。今も就活中なのですが、メディアを手段にしたのか、メディアが目的だったのか、自分でも曖昧なところがあったんです。

このメディアを使って何がしたいかっていうと、若い人って夢を追っていい年だと思っているんですけど、夢って叶わないことが多いじゃないですか。

自分も挫折して誰からも構われない時期があって、そういう時期ってつらいんですよね。そういうときに若者の居場所があったらいいなと思って、メディアっていつでも見ることができるので、そういう居場所になれるんじゃないかと。

コンセプトとしては、若い人が辛いときや苦しいときに帰ってこられる場所にしたいなという思いでやっています。

-就活に失敗というのは具体的にどのような失敗をされたんですか?

朝日放送に落ちたことです。高校三年生の夏から朝日放送に行きたくて、憧れですね。メディアに行きたいというより、やりたいことの手段が朝日放送だったんですよね。

もともと高校生の時から朝日放送に行きたくて関西に来たので、落ちたときはかなりショックでした。テレビ局は倍率も高いし、難しいだろうなと覚悟はしていたのですが、落ちたときにこんなにショックだとは思わなかったですね。

-テレビ局全般じゃなくて「朝日放送」なんですね?

そうですね。小さいころからずっと高校野球(甲子園)の放送に携わりたくて、それができるのがほぼ朝日放送だけなんですよ。

ほかもやれるんですけど、少ない人数で低予算なんです。朝日放送は毎年入社した社員の半分以上が夏の甲子園に関わっていて、予算も沢山出してもらえるので、そこで仕事がしたいなと思ってました。

なぜ高校野球に携わりたいのかというのを具体的に考えていれば、やりたいことはもっといっぱいあったんだろうなと思うんですけど、そこに夢というか憧れがあったので。

-ご自身でメディアを作られたわけですが、前と変わらずメディア業界への就職を目指していらっしゃるのですか?

実際にメディアを作ったあとは、第一志望ではなくなりましたね。

何故かと言うと、僕はもともと文章を書くのが好きで、ブログとかも書いていたので、そこは苦ではないかなと思っていたのですが、震災関連の記事を書けば書くほど、書くことに対しての重みを感じるようになったからです。

例えば東北に行ったとき、奥さんと娘さんを津波で亡くして、震災後に地域復興のためにカフェを作った方に取材をしたのですが、メディアの取材を受けると奥さんと娘さんを亡くした人が作ったカフェと言われてしまうそうなんですよね。

その方は、自分は前に進んで地域のために取り組んでいるのに、そういう風に書かれてしまうのは気持ちのいいものではないからメディアの取材は断っているとおっしゃっていたんです。

それを聞いて、自分がどう書くかで読む人の印象を操作できてしまうということが、すごく怖いなと思ったんです。そんな事を考えると段々と、好きだった“書く”が嫌いになってしまって。


>> 次頁「あえて主観的に、自分の考える「格好いい」を追求した。」

 

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