社会人インタビュー
京大卒 -だからこそお笑い芸人になった。”ボケ”から見える意外な真理。
Writer|塩田 かりん |
- 読了目安時間:8分
- 更新日:2019.6.28
小保内太紀。26歳、青森県出身。京都大学大学院教育学研究科卒。京都大学総合人間学部在学中の知恵の輪かごめと「カフカと知恵の輪」というお笑いコンビで活動している。芸歴4年。彼の根幹にあるものは一体何なのか。その真意に迫る。
”勉強”と”お笑い”、頭の使い方は一緒?
-今日はお忙しい中、お時間を作って頂いて有難うございます。早速ですが、小保内(おぼない)さんが、お笑い芸人になるまでの経緯を教えてください。
もともと中高生の頃から「自分は創作活動でご飯を食べようとするだろうな」って、漠然と思っていたんです。食えなくて野垂れ死ぬにせよ、そっちに吸い寄せられてしまうだろうなって。文章なのか、映画なのか、演劇なのか、音楽なのかは分からないけれど、何かしら現実ではないものに人生全部を売っちゃうだろうなと。
ただ、比較的堅めのお家だったので、そういう進路が許されそうになかった。そんなあるとき、親が「東大か京大行ったら好きなことしていい」って言ったんです。だから僕は「言ったな」と(笑)。たまたま勉強は好きでしたし、面白そうだなと。じゃあ行ってみるかと、京大に進学しました。
でも、入学してすぐつまんないなと思いまして。僕は青森県出身で、地方から出てきたぶん、大学生活にドラスティックな変化を求めていたんですよ。でもそれがなくて。レールをはみ出すために京都大学に来たのに、ここもめちゃくちゃレールの上じゃないかとがっかりしたんです。
どんどんやる気がなくなって、2回生のときには3単位しか取りませんでした。大学もやめようと思っていました。でも、3回生になったら周りが就活をし始めて、あれ、みんな意外と勉強しないまま卒業しちゃうんだなと。それなら僕は勉強しようかなと。そしたらものすごく勉強が面白くなって、猛スピードで単位を揃えて4年で卒業し、そのまま院進学しました。
-いつお笑い芸人になられたのですか?
大学院生のときです。その時期に、人間関係で大きめの失敗をしたんですよね。結果、精神的に不安定な時期があって。素の自分で人と接するのはしんどいな、と感じたんです。そんなとき、自分で脚本を書いて、自分で役に入れるお笑いに自由度を感じて、逃げるようにのめり込んでいきました。とうとうフィクションに人生を売り飛ばす条件が揃ったというか、自分の中で踏み切るタイミングになったんですよね。
-京大の大学院を卒業して『お笑い芸人』って、ギャップがすごいですよね。
どうなんですかね。京大出身でお笑い芸人って言うと、「勉強とお笑いって全然違うものじゃない?」ってよく言われるんですけど、僕はそうは思っていなくて。
確かに高校までの勉強は教科書の内容を覚えるとか教わったことを再現するのがメインですけど、大学以降の勉強は新しい物の見方とか、新しい概念を考えるのが主じゃないですか。そうなると、お笑いの「ボケ」も現実に対する新しい見方の提供なので、大学での学びと重なると思いますよ。
-なるほど……!
お笑いにおける「ボケがあってツッコミがある」っていうのは、ある種「新しい知見が出てきて、それが正されたり正されなかったりする」という学問による真理到達へのプロセスと一致する構図じゃないですか。
現実への見方をずらすことができるという点で、僕はすごく共通していると思っているんです。使う頭が似ている、なんなら全く同じなんじゃないかなと。
-お笑い芸人になろうと思って、具体的にはどういうアクションを起こしたんですか?
一般的には養成所に行くことが多いと思うんですけど、僕はそうしませんでした。というのも、僕がお笑いを面白いと思ったのは、現実に対するオルタナティブ(=代案 、 既存のものに取ってかわる新しいもの)を提示できるからなんですよね。
でも、養成所に行くと何かしらメジャーな価値観を持つことになりますよね。それが、僕にはなじまないかなと思って。
だから、自分でライブをやって、事務所を作って。全部自分の目の届く範囲、手の伸ばせる範囲からスタートしました。喧騒から距離を置いて、伸び伸びと自分のやり方を固めたいなと。
>> 次頁「“京大”と“笑い”が繋がるとき。」
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