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社会人インタビュー

気象予報士として生きる。民間から省庁へ、大いなる野望と挑戦。

Writer|ビックイヤー編集部 Writer|ビックイヤー編集部
  • 読了目安時間:7分
  • 更新日:2018.4.11

栃木出身。理工学部卒。就職活動終了後、念願だった合格率約4%の「気象予報士試験」に突破。15歳からの夢のため、転職し東京から京都に。そして、日本を代表するメーカーでの9年間の勤務を終え、省庁へ転身する彼の『仕事への想い』に迫る。

気象予報士の資格を活かすため、東京から京都へ。

-お久しぶりです。本日はお引越しなどでお忙しい中お時間を頂きましてありがとうございます。すでにお伺いしていることも多いですが、谷澤さんの仕事観を色々と聞かせてくださいね。

こちらこそよろしくおねがいします。さきほど家具処分をして、それであらかた終わりましたので大丈夫ですよ。笑

-早速なんですが、今ちょうど新卒採用の就活時期ですよね。谷澤さんの就活はどんな感じだったんでしょうか。

僕は、元々理工学部で地学を専攻してたんです。中でも気象にはとりわけ興味があって、ずっと気象予報士という仕事を目指していましたね。

思い返すと、15歳の立志式で「気象予報士になる」と言っていたので、もうその頃から現職に興味があったんです。

-1社目は気象予報士とはあまり関連のないお仕事だったように記憶しています。

そうです。と言うのも、僕が気象予報士の資格を取得したのが就活終了後なんです。永田町に事務所がある、ご存知だと思いますが、あの会社に就職しました。

それで働き始めたのはいいんですが、とても違和感があり、やっぱり気象に関する仕事がしたいなぁと思っていたところ、A社の募集があることを知って応募することにしたんです。入社して数ヶ月のときでしたね。

-そこでどうしようかなぁと揺らいだんですか?

違和感自体はさきほども申し上げた通りにあったんですけど、最後は実家に帰省したときの親のプッシュですね。

-意外ですよね。もう3年くらいお付き合いがありますが、谷澤さんが流されやすい人と思ったことがないですから。

いやぁ、僕はちゃんとメリットがあるなら「その意見を聞いて、やってみよう!」と思うタイプなんです。だからその時も、確かに待遇もいいですし、なにより自分がやりたいことができる!という点にメリットを感じて2社目に飛び込みました。

実際に働いていたのは、A社(京都本社、社員数は1万人超で日本を代表するメーカー)の中で、災害関連を担当する部署でしたね。結局都合、丸9年在籍しましたが、本当に毎年やっている業務が追加されていって、去年と同じ事をした!という年はなかったくらいに目まぐるしい9年でした。

-次は省庁に行かれるので、民間は2社の経験ということになりますね。実際A社に転職してみてどうでしたか?予想していた業務が出来たのでしょうか?

ええ、内容としては本当に理想的でした。最初の頃はちょうど防災システムの外販が出来るような人を欲しかったらしくて、前職が営業をしてましたから、ちょうどハマりましたね。

商材は、当時まだガラケー時代だったので、今みたいなアプリじゃなくてPCで運用する工事現場とか自治体で使うシステムとか、安否確認システムを扱ってました。

あと、ちょうど僕が入社したタイミングで携帯キャリアが携帯での天気予報サービスを各社はじめたので、天気予報の運用も担当させてもらってたので、前職で培った営業の経験と、気象予報士の資格を使った業務も出来て、本当に理想通りの滑り出しでしたね。


>> 次頁「転機は2011年の大震災。本気で自分の仕事に向き合いはじめた。」

 

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