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社会人インタビュー

食の都、大阪で奮闘する味づくりの専門家が目指す、家庭の味の再興とは。

Writer|ビックイヤー編集部 Writer|ビックイヤー編集部
  • 読了目安時間:8分
  • 更新日:2019.2.19

はじまりは勘違い!?

-昨年から大阪府6次産業化プランナーにもなられたとお聞きしました。プランナーになられた経緯を教えていただけないでしょうか。

プランナーになるためには試験を受けて合格しないといけないのですが、そもそも試験を受けようと思った経緯は、関係者の方から私のような経歴の方がいないので、ぜひチャレンジして欲しいとご推薦頂いたのがきっかけでした。

-プランナーとしては、どのような活動をされているのでしょうか。

プランナーになってまだ日が浅いのですが、大阪府内の生産者様と一緒に生産者様の作物を使った新商品開発などに携わらせて頂いています。また食品企業での商品開発の経験を活かし企業と生産者を結ぶ活動にも力を入れています。

-起業する前は調味料メーカーに在籍されていたとのことですが、昔から一貫して“食”に関わるキャリアを歩まれているのでしょうか。

ファーストキャリアは外食チェーンで、その後に調味料メーカーに転職しました。どちらも“食”に関する事業を行う会社ですので、一貫して食に関わってきたとは言えます。

ただ、外食チェーンでは本部勤務で管理部門に所属していたので、私自身は直接、食に関わる仕事をしていたわけではありません。

-調味料メーカーへ転職されてから食品の商品開発に携わるようになられたということですか。

はい、そうです。

-その転職を決意されたキッカケなどはあるのでしょうか。

外食チェーンに在籍していた頃、会社がちょうど50周年だったのですが、その記念行事として開催された社内コンテストでグランプリを獲得できたのがキッカケです。

グランプリには複数名の方が選ばれたのですが、ほとんどがシェフの方々で管理部門から選ばれたのは私だけでした。

-シェフと肩を並べて、グランプリ受賞って凄いですね。

たまたまだと思いますが、それでも食の現場で働けるだけの“なにか”が自分にはあるのかもしれないと良い意味で勘違い出来たことが今に繋がっているのだと思います。

-勘違い、思い込みも時には有効ということですね。

だと思います。

-ファーストキャリアは外食チェーンの管理部門とのことですが、なぜそのキャリアを選ばれたのでしょうか。

昔から料理が好きだったのは確かですが、これと言った動機はなかったのかもしれません。

当時は学校の先生になろうかなと考えていたこともあり、キャリアについてそれほど明確な考えを持っていたわけではありませんでしたし・・・

-では、グランプリの受賞という出来事が大きな転機になったということですね。

そうですね。今では食品の商品開発やメニュー開発などは、私にとって天職だとさえ思っていますが、この出来事がなければ、まったく別のキャリアを歩んでいた可能性も十分あると思います。


>> 次頁「“いつか”は、やって来ない可能性も・・・」

 

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