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社会人インタビュー

振り売りで伝える野菜の価値。生産者と消費者をつなぐ若手事業家の歩み。

Writer|ビックイヤー編集部 Writer|ビックイヤー編集部
  • 読了目安時間:11分
  • 更新日:2019.3.18

アカデミアでは学べない。

-角谷さんは京都大学出身とお聞きしています。どのようなことを勉強されていたのでしょうか。

大学、大学院と合計6年間、建築学を専攻していたのですが、私は特に照明の印象評価について研究していました。

-照明の印象評価ですか。

例えば、大きな照明が1つあるときと小さな照明が複数あるときに人が感じる、その部屋の印象の違いなどを研究していました。

居住空間に適する色温度の照明は?とか、BGMと照明、どちらがその空間に対する印象に強く影響を及ぼすのか?とか・・・

-現在の仕事とは全く違う分野ですね。

そうですね(笑)

建築学を学んだり、照明について研究したりすること自体は好きで面白かったのですが、割と早い段階、大学1年の終わり頃から、職業としての建築はシックリこないというか、私に合わないかなと思うようになりました。

-それは、なぜでしょうか。

そもそも大学進学の際、将来の職業のことまで考えて建築学を専攻したわけではなく、あくまで学問として学んでみたいという好奇心から選択していました。

実際に建築学を学んでみると、建物の中で起こるコト、例えばどのような場づくりをすれば人が集まってくるかなどを考えることは凄く楽しかったのですが、それを基に建物を設計する、考えたコトを建物に落とし込むという作業は苦手だな、私には向いていないなと感じるようになりました。

隣にいる友人の方が、確実に設計はうまいだろうなと思ってしまったというか。

-モノづくりは向いていないと感じ始めたと同時に、コトづくりは楽しく、興味が出てきたということですか。

そうですね。

ただ、そのコトづくりを京大の中で学べる場はなかったので、どうしようかなと悩んでいたら、たまたま、そういった場でお手伝いをさせて頂けることになって・・・

-それは、ご紹介か何かでしょうか。

当時、私はボーカルスクールに通って、歌を習っていたのですが・・・

-歌ですか?それは趣味として、ですか。それとも歌を仕事にしていくことも考えられていたのでしょうか。

ポップシーンでの活躍も少し夢見ていたと思いますが、そのスクール自体はどちらかというとライブハウスでブルースを歌われているおじ様とかも通われるような、純粋に歌が上手くなりたいと思っている方が多いスクールでした。

-なるほど。

そのスクールは当時フリーの音楽プロデューサーの方が運営されていたのですが、この方は様々なイベントのプロデュースなどもされていて、大学というアカデミックな場での経験しかなかった私にとって正反対の“実践の人”という感じで、私の周りにはいないタイプの方でした。

そこで建築を仕事にしていくことに迷いが生じてきていることなどを色々と相談させて頂くようになったのですが、「まず、お前は世間を知らなさ過ぎる」とビシッと指摘されてしまいました(笑)

高校、大学と勉強は頑張ってきましたが、確かに世の中のことを知る機会はあまりなく、ご指摘の通りだなとは思ったのですが、でもどうしたらそれを改善できるのか当時の私では分からなくて、「じゃあ、どうしたらいいですか?」と率直に聞いたら、「音楽って、表で歌うこともすごく大事だけど、裏方も同じくらい大事だから、よかったら裏方の仕事を手伝ってみないか?」、「アシスタントとして関わってくれるなら、色々な現場に連れていってあげられるよ」と誘って頂きました。

「じゃあ、弟子入りします!」ということで、以降、大学、大学院に通いながらインターンのようなカタチでお仕事を手伝わせて頂くようになりました。

先ほどお話した福島でのチャリティーライブのお手伝いも、このインターンの一環です。その方の奥様がYammyさんという福島出身の歌手の方で、彼女のチャリティーライブの関係で、福島へ足を運ぶようになりました。


>> 次頁「フリーランスは人の縁が大事。」

 

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