社会人インタビュー
就きたい職は自分で作る。地方で生きる若者の挑戦。
Writer|ビックイヤー編集部 |
- 読了目安時間:9分
- 更新日:2019.4.4
就きたい職は自分で作る。
-もちろんご出身だということも大きな理由の1つだと思いますが、そもそもなぜ地域おこし協力隊に参加されたのでしょうか。
話すと長くなるのですが・・・汗
-どうそ!
元々、管理栄養士を目指して東京農業大学に進学し、栄養学について学んでいたのですが、その中で日本は生活習慣病が増え、医療費も高騰しているということを知りました。
確か当時(2012年)の医療費が38兆円くらいで、5年後には42兆円、その先には50兆円まで到達すると試算が出ていました。
人口減少社会、高齢化社会と言われている中で、これは非常にまずいなと思うようになり、管理栄養士として何かできないかなと、子供たちへの食育に興味を持つようになりました。
子供たちに食育を施すことで、彼らが大人になった時に正しい食習慣を持つことが出来れば、結果として生活習慣が改善され、課題の解決に繋がるのではないかと。
そこで大学卒業後の進路を小学校の栄養教諭と決め、ゆくゆくは京都に戻りたい気持ちもあったので、Uターン就職にチャレンジしました。
-その頃から地元へ戻ることを意識されていたのですね。
しかし、京都府の採用枠が若干名、確か3名程と少なく、教員採用試験に落ちてしまいました。その後、東京都の採用試験を受け、採用枠が80名程と多かったこともあり、何とか合格することが出来ました。
-東京都の小学校でキャリアをスタートされたんですね。
はい、大田区にある小学校で。
結果的に5年間、小学校で働いたのですが、3年目頃から将来のことをより真剣に考えるようになり、やっぱり地元に戻りたいなと改めて思うようになりました。
ただ、戻るためには京都府の採用試験に受かるしか選択肢がない状態では、採用枠も少なく、いつ受かるかも分からないので、非常にリスクが高いなと。
でも、他の選択肢、地元で食育に携わる職業が上手く見つけられず、しばらく悩んでいたのですが、ある時ふと『自分が就きたい職が地元にないなら、その職自体を自分で作れば良いのでは?』と考えるようになりました。
そこから、休日にはフリーで働いている管理栄養士の方にお話を聞きに行ったり、地元に帰って、地元の農家さんや漁師さんのお話を聞きに行き、漁業を体験したりと自分なりの働き方を色々と模索するようになりました。
そのような活動をしている中、小学校で私にとっては大きな意味を持つある経験をしました。
-それはどのようなご経験でしょうか?
“地産地消”はご存知でしょうか?
-「地元で採れた食材を地元で食す」というモノですよね?
そうです。
この地産地消を子供たちに伝えるために、東京都産の小松菜などを積極的に仕入れ、給食に使い、合わせて給食時間に私が地産地消のことを子供たちに指導する、という食育を3年程続けていました。
例えば「地産地消は生産者さんの顔が見える」とか「輸送コストが掛からない」、「新鮮なモノが食べられる」などを子供たちに伝えていました。
3年も続けると、子供たちも地産地消に関する色々な知識を覚え、私が地産地消の利点を聞くとスラスラと答えられるようになりました。
ただ「生産者さんの顔が見える」と言っても、実際に生産者さんの顔を見た子供はいなくて、単に知識として頭に入っているだけの状態と言いますか、これは本質的な活動ではないなと思うようになりました。
そこで仕入先の農家さんに相談し、農家さんの仕事ぶりを取材させて頂き、それを給食時間に子供たちに伝えてみました。
例えば「今日の小松菜は、江戸川区の○○農家さんが××日かけて育てた野菜で、途中にはこんな苦労があって・・・」というのを写真付きで紹介し、文字通り生産者の顔を子供たちに見せました。
すると驚いたことに、小松菜嫌いな子供が小松菜を食べるようになったんですね。
これまで私が地産地消のことや小松菜の栄養価の高さなどをいくら伝えても行動変容しなかった子供が、その食材の裏側のストーリーを伝えることで行動変容した、これは私の中では凄く大きな経験でした。
食に対する意識を変える、行動変容を起こすためには、もちろん知識も大切だとは思いますが、それ以上に生産者さんの顔を見せる、裏側のストーリーを伝えることが重要なんだと。
この経験をキッカケに、友人と3人で「丹後バル」というイベントを新たに立ち上げました。
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