社会人インタビュー
食の都、大阪で奮闘する味づくりの専門家が目指す、家庭の味の再興とは。
Writer|ビックイヤー編集部 |
- 読了目安時間:8分
- 更新日:2019.2.19
“いつか”は、やって来ない可能性も・・・
-管理部門から食の現場である商品開発へとキャリアチェンジされたわけですが、仕事内容が大きく変わるため、なかなか難しい転職活動だったのではないかなと想像するのですが・・・
仰る通り、商品開発という仕事は未経験の人間がいきなり就けるような仕事ではなく、転職活動はなかなかに大変でした。
そんな中「アルバイトでもいいなら・・・」と誘って頂けたのが、その調味料メーカーでした。
-アルバイトとして転職されたのですか。
はい。当時28歳だったのですが、私も正直「今更、バイト!?」と思いました。でも、どうしても商品開発に携わりたかったので、不安もありましたが思い切って飛び込みました。
-実際に転職されてみて、どうでしたか。
色々な方と協力し1つの商品を作りあげる、モノづくりの仕事は想像していた以上に楽しかったです。
また、自身が携わった商品が売り場に並んでいるのを見ると、誰も私のことは知らないのに商品を通して消費者の方と繋がれたようで嬉しく、転職して良かったなと思いました。
-アルバイトという待遇でしたが、転職した甲斐がありましたね。
実は、入社後すぐに正社員にして頂けましたので、アルバイト期間は少しだけでした。
今思うと、最初にアルバイトでの採用を持ち出されたのは、私の本気度を試したのではないかと思います。
-お話をお伺いしていると、充実した会社員時代を過ごされていたように感じましたが、起業に至った理由は何だったのでしょうか。
いくつもの商品開発を経験する中で食品全般への興味が増していき、もっと色々な食品の商品開発に携わりたいと思うようになったのが理由です。
ただ、会社自体には満足しており、仕事も楽しく、管理職まで経験させて頂いていましたので、いつか独立や起業などをしたいとは思っていたのですが、すぐに行動に移すことはなかったです。
-では、起業に踏み切られた直接のキッカケは何だったのでしょうか。
東日本大震災です。
当時の私の上司が日帰りの東北出張で震災に巻き込まれて亡くなったのですが、色々と仕事を教えて頂いていた、非常にお世話になっていた上司でして・・・。
この出来事をキッカケに普段は考えないようなことも色々と考えるようになり、当たり前のことなのですが、いつかやろうの“いつか”はやって来ない可能性もあるということを強く意識するようになりました。
これが起業へ踏み切った大きなキッカケだと思います。
>> 次頁「日本の家庭料理の文化を後世に。」
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